toohiiのお一人様がいい

1人が好きな男がいろいろと吐露します。

禁じられた楽園 恩田陸さん  ホラーというものについて感じたこと

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今回は恩田陸さんのホラー小説について書きます。

 

 

 

巨大な野外美術館に招待される 

烏山響一。世界的美術家とされる青年。

そんな男が自分と同じ大学の同級生だったら、みなさんはどう感じるでしょうか。

嬉しいとかどうこう言う前に、気になって気になってしょうがないと思うんですよね。

 

随分と前の話ですが、ある有名大学に、これまたかなりの有名な女優さんが入学したのはいいが、「ひと目見たい」という学生たちが押し寄せてとてもじゃないけど授業できる状況ではなくなってしまったということがありました。

では大騒ぎしてしまった学生を責めることができるのかといえば、その場にいたならば、そう思うわな~。同じように舞い上がって常識はずれの行動をしてしまうかもしれませんね。

 

烏山響一も、上記ほどの舞い上がった状況ではないにしろ、いつも多くの取り巻きたちに囲まれている状況です。みんなの憧れ、烏山くんです。

 

そんな彼に話しかけられたら。

まるで王子さまに声をかけられた庶民です。光栄で光栄で。

 

それだけでもうれしいというのに、彼に招待されたら。

それはもううううう、優越感に浸ってしまいますよ!!!

 

烏山響一のふるさとは熊野。あの熊野古道で有名な地です。

烏山家はそこの名士なんです。山も所有してまして。

そこに“野外美術館”を作り上げるのです。

烏山響一の伯父さんである烏山彩城も実は有名な美術家です。

彼の巨大なインスタレーションをいくつもそこの作り上げたのです。

山一つを使った「体験型美術館」。

なんか楽しそう!!!行ってみたい!!!

そんな気になりますよね。

 

そこに「招待される」物語です。

 

 ところで、インスタレーションとは

インスタレーション (英語Installation art) とは、1970年代以降一般化した、絵画彫刻映像写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。

空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。鑑賞者がその空間を体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどのように変化させるかを要点とする芸術手法である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

インスタレーションといってもそれは 

この小説はホラーです。

ですから招待されたことによろこんでばかりはいられません。

うらやましがってばかりもいられません。

そのインスタレーションの内容というのが・・・。

 

前振りとして、烏山響一は広告代理店と組んでDVD作品を発表し大ヒットになります。

2004年の作品ですからそうなのでしょうが、今ならyoutubeの再生回数************回という話でしょうね。

そこにある噂がたちます。それは、

“映像の中に死者が見える“

というもの。“見た“という人がたくさん現れます。

 

恐ろしい噂のある映像に翻弄されるという点では『リング』を連想させますね。

 

その真相はいかなるものなのでしょうか・・・。

 

 

ストーリーの内容とはあまり関係がないけど、気になった文章

 今のマスコミや一般大衆はいつも腹を空かしている池の鯉みたいなものだ。鯉は何でも食べる。雑食であり、しかも悪食なのだ。どんよりした池の中で重なり合うようにのろのろ泳いでいるが、一度餌が投げ込まれると、獰猛に食らいつき、骨まで噛み砕く。ほとんど反射のみなのである。投げこまれたものが何なのか確かめることすらせずに、争って食い尽くしてから、はて、今自分が食べたのもは何だったのか考える、考えるのならばまだいいが、食欲を満たしたことのみに満足して、食べたものが何だったのか知ろうともしない。

 

 ちっぽけな存在の人間にとって、この世で一番怖いのは狂気よりも正気だ。狂気はある意味で安らぎであり、防御でもある。それに比べて、正気で現実に向き合うことはどれほど人間にとってつらいことだろう。この男が怖いのは、この男が常に誰よりも正気だからなのだ。酒を飲んで酔っ払っている時に、素面でじっと観察されていることくらい決まりの悪いものはない。彼の視線にはそれに近いものを感じる。

  

芸術を商売にしていれば、日々切磋琢磨し情報も多く得られるからそれなりにとんがるのは必然であり当然だが、その必然がないのにそれがホンモノであるか最先端であるかを感じられる人というのは、本当に本能的にとんがってるんだろうね。というか、時々芸術というのは芸術家が造るのではなくて、大衆の無意識の部分に沈んでいるんじゃないかと思う時があるね。大衆の無意識が、ある日一人のアーティストの中にそれを発見するんだね。そういう意味では、我々たただの筆みたいなもので、大衆の無意識から浮かんできたものに描かされているだけなんじゃないかと思うね。最終的に、アートするのはやはり大衆の方で、俺達じゃない。我々はたまたま発見されるだけで、どんな異端もしょせんは大衆の一部をカリカチュアライズしてるだけだ。

 

ホラーの難しさ

物語をはじめたら、終わらせなければいけません。

どうしてそうなのか?という疑問に対する答えを用意しないといけません。

 

最後に真相がわかり、それは納得のいくものでした。

 

ミステリならば、それで良かったのだと思います。

しっかりとした説明がなされたものでした。

ですが、今回はホラー。

 

真相がわかってしまったつまらなさを感じてしまいました。

 

何かいる 何かいる 何何何・・・・????

と怯えてた状態を楽しんでいたのが、醒めちゃった。

 

ホラーというものの難しさを今回は感じてしまいました。

 

 

ホイじゃ、また。