toohiiのお一人様がいい

1人が好きな男がいろいろと吐露します。

「飛び越える」がテーマでは?と思った。はてなインターネット文学賞

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

あなたにとっての「インターネット文学」は?ときかれても、

ぼくには「これだ!」と答えるものがない。

 

インターネットの小説投稿サイトから人気が出て、出版したらまた人気、ついに映画化、アニメ化なんて話もたくさんある。それらこそが、インターネットから飛び出した「インターネット文学」だ、といえばそうだろうなと思う。

 

でも、ぼくには「これだ!」というものは浮かばない。

 

ここではぼくにとっての「インターネット」とはという話になる。

 

インターネットとはもう随分と慣れ親しんできた。

便利なものだ。

でも、ここ最近の付き合い方は以前よりも有意義だ。

ブログをはじめたからだ。インターネットとの付き合いがより積極的になった。

ブログは続けていくうちに、もっとこうしたいということが浮かぶ。

そこでインターネットの世界で検索していくと、だいたいのことは誰かが文章にしてくれている。

こんなことはインターネットがなければありえない。

何か質問があって誰かに聞いたら、それが何であるかを説明しなければいけなかったり、そもそもどうしてそんなことを調べているのかも説明しなければいけなかったりと、やたらと手間が多い。

 

だいたい何かを教えてもらおうと思ったら、お金を払ったり、その人に気に入ってもらえるように媚びを売ったりと、その前にやらなければならないことが多すぎた。

 

インターネットの世界ならば、そんなことは「飛び越える」。すぐに知りたいことを知ることができる。

 

また、人とのコミュニケーションにおいての壁も「飛び越える」。

壁とは「ことば」以外の「言い方」とか「表情」「仕草」のことだ。人はそれらを敏感に察知してしまう。何気ない言い方が気に入らなく聞こえてしまったり、ちょっとした表情から「迷惑だったかな」と勘ぐってしまったり。

ぼくなどもまったく疲れていないというのに、「疲れているのか」「気分が悪いのか」などといわれてしまうことがある。そんな顔をしているのだろうか。

文章なら、そういうことはない。書いてあることを素直に受け取るだけだ。

 

年齢の差も「飛び越える」。どれだけ相手が年が下でも、素直に教えを乞うことができている。面と向かってならこうはいかないだろうと思う。

 

国境も「飛び越える」。おもしろく読んでいたブログを書いた人が、実はインドネシア在中だったことを知って驚いたことがある。外国で働いている日本人が書いているのだ。そうやって外国から書いている人も多くいる。もはやそんなことはできて当たり前となっているのだ。「時差は・・・」とか「国際電話は金がかかる」なんていうことは気にしなくてもいい時代だ。

 

出版社も「飛び越える」。一昔前ならば、文章を書いて広く一般に広げたいならば、出版社に気に入ってもらえなければならなかった。出版社に金になると思ってもらえなければならなかった。その出版社の記者になるか。新聞記事になるか。

あとは同人誌をつくるか、自費出版。それくらいだったと思う。

 

それが今では、インターネットをつかって誰でもすぐにはじめることができる。

こんなことはなかったことだ。

 

 

以上「飛び越える」ということをテーマにいろいろと書いた。ぼくの思いついたこんなところだ。

 

ここに来てふと思い出した。ぼくが「ブログ」をはじめたきっかけだ。

そもそもぼくがブログをはじめたきっかけは、「とある方」のブログを読んだからだ。その方のブログを読んで「ブログとはそういうものだったかの」と気づかされたのだ。もう、どこの誰だかわからなくなってしまったが。

 

だから、ぼくにとっての「インターネット文学」とは、「どこの誰だかが書いたかも忘れてしまったブログ記事」ということになる。

 

ぼくもそんな記事を書いてみたいと思うし、

これを今読んでいるあなたの記事が、誰かのきっかけになるかもしれない。

 

集中力が欲しい。判断力をつけたい。アイデアが出せるようになりたい。と思ったら読む本。

f:id:toohii:20210719142547j:plain


本日ご紹介するのは『あなたの脳のしつけ方』です。

著者は中野信子さんです。

 

割と人気があるみたいで、「気になってた~」という方もいるのではないかと思います。

 

今回は読んでみて、自分なりに「これはいい」と思ったことを抜粋してあげますね。

 

 

 

集中力のしつけ方

・集中力を高めるためには、散漫にならないような環境を整える。

 スマホを遠ざける。切る。雑誌も写真も遠ざける。

 

・あえてキリが悪いところでやめる。

 途中ですから、それから離れている間もなんとなく気になっている。

 だからこそ、再開したときにすんなりと集中状態に戻ることができる。

 

・とにかくやりはじめる。やる気はやりはじめてから出るようにできている。

 

判断力のしつけ方

・脳には判断は早いけれど間違えやすい「xシステム」と、判断は遅いけれど合理的な「cシステム」がある。

「xシステム」は反射です。動物的な器官です。

「cシステム」は、ものごとを長期的な視点に立ってより正確に、合理的に判断できるシステムです。これを働かせて余計な情動を抑えられる人は、生涯を通じて“勝者”となりやすい。

 

・「Çシステム」を鍛えるコツは、目先の利益よりももっと先の大きな利益に目を向けること。

 

・「Çシステム」を鈍らせるのは「睡眠不足」もう一つは「アルコール」。

 

イデア力のしつけ方

・“右脳派”“左脳派”に科学的根拠はない。

 

・新しいアイデアは実はない。アイデアは思いつくものではなくて、「過去から拾ってきて応用するもの」。そのためには歴史を知る。肝心なのは、過去のアイデアなり解決策を、目の前の問題と結びつけてアレンジすること。そういった能力は鍛えることが可能で、それには歴史小説や『孫子の兵法』がよい。

 

・まねをする。人の脳は何かを模倣することで新しいことを身につけるというのが基本プロセス担っている。新しいアイデアを生むにも“真似”から入るのが有効。

 

努力のしつけ方

・努力できるできないは生まれつきの脳の構造による。

 

・努力できない人は、ものごとを効率的にこなす能力がある。

 

強運力のしつけ方

・人は必ず「幸運な人」と「不運な人」に分かれる。

 

・運がいい人と悪い人の差はどんどん開いていく。

 

・運がいい人になりたるためには「知能」を身につける。それはちょっとした習慣を変えるだけでいい。本を読む・映画を見る・人と会って話す。そうやって知識や経験を積み重ねる。

 

・日頃から「ものごとを短期的に記憶する」を意識的に行う。

 

・自分が勝てる場所を探す。

 

 

 

読むだけでも楽になる

ザッとこんな感じですね。これはあくまでも、ぼくがいいと感じたところの抜粋です。他にもまだまだ有益な情報が載っています。

「記憶力のしつけ方」「モテ力のしつけ方」「愛情力のしつけ方」の項目もあります。

 

今回の記事ではあえて避けましたが、本書にはちゃんと脳科学的な根拠も記されています。

 

人にはAタイプとBタイプがいて、Bタイプの人はここが駄目だけど、この方法を使うといいんじゃないでしょうか。という具合に提案してくれます。

読むだけでも随分と楽になりますよ。

 

 

ホイじゃ、また。 

 

 

 

 

 

 

舟を編む(小説)・あらすじや感想など。

本日ご紹介するのは、

舟を編む三浦しをん著です。

 

2012年の本屋大賞を見事受賞された作品です。

さすがは本屋大賞受賞作と、うなる名作でした。

 

 

舟を編む

有名な作品ですから、未読でも

辞書をつくる物語だということは知っていました。

 

その辞書の名は『大渡海』。だいとかい と読みます。

 

辞書は、言葉の海を渡る舟。

茫漠とした大海原のごとき無数にある言葉。

もし辞書がなかったら、我々はその前にたたずむことしかできないだろう。

海を渡るにふさわしい舟を。

『大渡海』にはそんな意味が込められているのです。

 

それがわかるとタイトルのすばらしさもわかります。

舟となる辞書をつくる、編集するのですから、編む。

 

この編む。辞書をつくる過程は言葉一つ一つを丁寧に集め、適切に定義することからはじまります。それはまるで一本一本の糸を編むかのように感じさせます。

 

舟を編む』この短い言葉で辞書づくりを表しているわけです。

 

馬締 光成

まじめみつや。株式会社玄武書房 第一営業部所属。

院卒の入社三年目。27歳。

辞書をつくるという地味な作業にピッタリの名前です。

その何恥じぬ、辞書づくりに向いた男なのです。

彼が主人公ですね。

営業部ですが、ふさわしい男として辞書編集部からスカウトされることから

物語ははじまります。

 

スカウトしたのは荒木。

辞書編集部で辞書づくりひとすじ37年。

だが、定年まであと二ヶ月。

辞書というのはつくるのに手間と年月を要するために、

会社としてはそんなに多くの人材をさけない。

人材不足なんです。

監修として松本という言語学者がいるものの、

編集部は荒木の他は契約社員の四十代の女性・佐々木。

馬締と同じ年の西岡だけなんです。

そしてまた、この西岡という男が地味な辞書づくりにまったくふさわしくないと思えるようなチャラい男なんです。

どうしてここに?他の部署でなんかやらかした?という疑いを持ってしまいます。

 

馬締の住まいは、木造二階建ての下宿・早雲荘だ。

大学入学を気にずっと住んでいる。

他の住人は大家のタケおばあさんのみ。

馬締は1人なのをいいことに、読み終わった本を空いている部屋へ運び、

それで1階の部屋をすべて埋めてしまった。

そんな馬締に大家は文句も言わないどころか、たまにご飯をつくっては

ごちそうしてくれるのだ。

 

そこに、タケおばあさんの孫娘が引っ越して来るのです。

林香具矢。

馬締は香具矢に惚れます。

 

若い人が寄り付かないようなボロアパートに、美しい女性が引っ越してきた。

これって、高橋留美子さんの初期の名作『めぞん一刻』じゃないか。

 

馬締と西岡と香具矢の間で、恋愛コメディ的なノリの物語がはじまるのかな、

と思っていました。

マンガ好きでも知られる、三浦しをんさんがこの漫画を知らないはずはありません。

独特のリズムで心地良く楽しいエッセイも得意な三浦しをんさんですから、

三浦しをん版『めぞん一刻』を見事に書いてみせるだろう。

そう期待していました。

 

でも、そうはなりませんでした。

 

 

ここからは、ネタバレです。

西岡正志

チャラい男で仕事なんか馬鹿にして適当にやっていうかのような男。

馬締をからかい、香具矢を取ろうと邪魔する男。敵役のような役割かと思っていたのですが、そうではありませんでした。

馬締をからかいつつも、面倒見が良いんです。

辞書は好きになれないが、それでも辞書部として荒木や松本に認められようと

彼なりにがんばっているのです。

それでも彼は負けを認めざるを得ませんでした。

馬締の辞書づくりにかける執念にです。

馬締を本当に辞書づくりに向いている男だと認め、

宣伝広告部へ異動の際には自分はいらないから出されたと嘆くのです。

それでも、西岡は最後まで辞書編集部として自分にできることをして

出ていきます。

 

岸辺みどり

玄武書房入社三年。女性向けファッション雑誌「ノーザン・ブラック」にいた

女性が、辞書編集部に異動してきます。

西岡の欠員がやっと補充されたに2,3年後から物語が再会するのかと思ったら、

そうではありませんでした。

なんと13年後から再会です。

『大渡海』はまだ、発売されていない。

 

ええ!!まだ・・・。

辞書づくりとはそれだけ時間がかかる仕事なんですね。

 

その13年経った後でも、辞書編集部のメンバーは全く変わらない。

監修としての松本先生。元編集部の荒木。契約社員の佐々木。

正社員は馬締だけ。

そしてひたすらに地味な作業を続けているだけなのです。

 

感想

構成がすばらいいと感じますね。

辞書づくりは、10年以上もかかる手間と時間のかかる作業。

海外では自国語の辞書を、国王の勅許で設立された大学や、

ときの権力者が主導して編纂することも多い。

国家の威信をかけてなされるほどの重要な仕事です。

それだけ大切で偉大な仕事なのです。

 

ですが、

言葉一つ一つを丁寧に精査し、吟味する作業はひたすら地味です。

 

これでは物語としてはおもしろくない。

だからそこに恋愛を入れる。

それに頼らなかったところが秀逸です。

恋愛はあるのですが、ちょっとです。盛り上がりなくあっさりしています。

 

それをするのではなく視点を変えていく。

馬締にはじまり、西岡から見る馬締、岸辺から見る馬締。

一見辞書づくりからかけ離れているようなチャラい男や、

ファッション雑誌を担当していた若い女性を通して、

辞書づくりにを見るわけです。

それによって物語が起伏をもつのです。

 

 終盤、視点のバトンは馬締にまた戻ってきます。

やがて物語は終末へと向かい。

地味だった作業が一変、スポーツの攻防のようなスピード感をもって

ゴールします。

 

辞書づくりに関わったすべての人を祝福して終わります。

 

是非読んでほしいですね。

 

ホイじゃ、また。

 

 

 

 

 

ブログを始めるかどうか悩んでいる人に読んでほしい記事

f:id:toohii:20210713153819j:plain

こんにちはtoohiiです。

 

こんにちは。

「ブログをはじめたいけどどうすればいいの?」

「ブログをやるとき何からはじめたらいいの?」

にtoohiiなりに答えます。

 

それ系の記事をいくつか読んだのですが、

そこには書いていなかったことも書いてありますので、

参考にしてみてくださいね。

 

 

 

ブログを始める前に

ブロブを始めるのならば「はてなブログ」でするべきか、

wordpress」でするべきかの議論があります。

 

どっちがいいの???

 

と悩んでしまいますよね。

 

だったら「はてなブログ」がいいですよ。という話です。

 

理由は簡単にはじめられるから。

 

はてなブログ (hatenablog.com)

   ↑

 ここからアクセスして。

   

ページが変わったら、画面を下へスクロール

 

そうすると

f:id:toohii:20210713143503p:plain

この画面が出てきますから、

f:id:toohii:20210713143638p:plain

これをクリックするだけです。

 

もう後は支持通りにやっていけばすぐにはじめられます。

 

ぼくがはじめてやったときは15分くらいかかったでしょうか。

でも、それくらいちょこちょこっと触るだけでできてしまいます。

 

本当に簡単にはじめることができます。

 

書きたいことがすぐ書ける。

 

大きな大きな魅力です。

 

しかも、無料です。

 

スマホゲームをやる感覚ではじめてしまえばいいのです。

そして、ゲームと同じように

これおもしろくないな、と感じたら

止めてしまえばいいのです。

 

これは声を大にして言いたいことです。

これがこの記事で一番言いたいこと。

 

やってみて、嫌になったらやめればいい。

 

昔あったドラマの暴走族じゃないんだから。

やめる時に恐ろしい制裁なんてありませんよ。

(わからない若い人は親にきこう)

 

気軽にはじめて気軽にやめていいんです。

他にもいろいろありますから、自分にあったものをやればいいんです。

 

たまに「SNSやめたい」と言い出す有名人がいますが、

そういう人は所属する事務所から販促活動の一環としてやるように

支持されているわけです。おそらく。

それで「やめたい」「やめるな」で揉めてしまっているのでしょう。

 

でも、多くの人はそんな指示は出ていないはずです。

 

なんかおもしろそう。ていう感覚ではじめてみようか考えているのだと思います。

おもしろそうだから、はじめたのですから、

おもしろくなければ、やめればいいのです。

 

ここ、あんまりみんな言ってないんですよねええ。

 

とにかくまずはじめてみることです。

そして、おもしろさを感じたら続けていけばいいのです。

それから、次のステップを考えればいいのです。

 

はじめからこれをやれ!

はじめたらやめるな!続けていくことでアクセスが増えるんだ。

とよく聞く話ですが、

それは結果が出た人が、そこから自らの過去を見て言っているだけです。

 

これからどうなるかもわからないのに、ハードル上げるなよ、とぼくは思います。

 

無料お試し期間みたいな感覚でやってみればいいのです。

 

はてなブログはPROにしなければずっと無料です。

いつの間にか課金されていたなんてこともありません)

 

 

ブログをはじめる決意をした人向けの項目

ブログをはじめる手順として、プログラミングからはじめる方法があります。

ぼくはこの方法には懐疑的でした。

そんな遠回りせずに、すぐに書きはじめればいいじゃないか。

記事を充実させるべきで、やることはそのレベルアップだ。

ライティングスキルを磨くべきだ。

 

しかし。

 

この方法が有効なことに最近気づきました。

 

ブログをやっていくと必ず誰もが突き当たる問題があります。

それは「ネタ切れ」です。

書くことがなくなってくるわけです。

 

ですが、プログラミングを学んだ経験があると、

それがネタになります。

プログラミングを習得するためにやったこと。

苦労したこと。克服したこと。

数ヶ月前にやったことですから、よく覚えているでしょうし、

これからプログラミングをやろうとしている人。

今勉強中で困っている人。

その人の気持がすごくわかるから、とてもいい情報になると思います。

 

プログラミングを勉強したいと思った人へ

今の記事を読んで、じゃあ、プログラミングからやってみるわ。

と思った人へ。

とてもうれしいのですが、ちょっと待った。

 

プログラミングをはじめるときも、まずはやってみるのがいいのですが、

そのときも無料からはじめることですね。

 

いきなり10万円を超えるようなスクールを申し込んではいけません。

彼らは商売ですから、

「絶対こっちのほうがいいすよーーー」と入学を進めてきます。

でも、そこで待ちましょう。

 

まずはオンライン講座。それも、まずは無料体験。

まずはそれでやってみてください。

 

プログラミングできるのカッコイイと気をよくしてはじめても、

おもしろさを感じられないかもしれないからです。

 

やってみて、

おもしろくなければやめればいい。

 

高いお金を払ってしまったら、もったいないからとおもしろくもない勉強を続けてしまうかもしれません。我慢しながら習得できたとしても、結局おもしくなければ、そのスキルを使うときになっても、それは続くわけで。あんまりよくないですよね。

 

やめやすくしておくことも重要です。

 

お前は途中で逃げ出すことを推奨するのか!!!

と怒りの声を上げる人もいるでしょうが、

成果の上がらないことやる必要ないんです。

 

とにかくいろいろとやってみて、

「自分に合っている」

と思えたものに時間もお金も投資した方が絶対いいですよ。

 

 

ホイじゃ、また。

 

 

クレオパトラの夢 コロナ禍だからこそより楽しめる?

f:id:toohii:20210606160043p:plain

 

今回ご紹介する小説は恩田陸さんの『クレオパトラの夢』です。

 

恩田さん作品の中で、神原恵弥(かんばらめぐみ)シリーズといわれているやつですね。

主人公である神原恵弥は外資製薬会社に所属しており、

「ウイルスハンター」と称される仕事をしています。

 

ですから、この話は「ウイルス」がらみなんですね。

今現在はコロナ禍ですから、「ウイルス」による被害の真っ只中にいるからこその

楽しみ方ができるのではないかと思いました。

 

 

 

 

 

ウイルスハンター 神原恵弥

この神原恵弥という人物、

名前を見たときにはぼくは女性のキャラクターだと思っておりました。

でも違いました。男性です。

頭脳明晰で端正な顔立ちのお方です。

好きなイケメン有名人をイメージしましょう。

そして、その人に女言葉をしゃべらせましょう。

それが、神原恵弥です。

 

なんでも女ばかりの家族で育ったために、話し方が女になってしまったのだそうです。

(このように男なのにに女言葉で話したり、女装趣味があるキャラクタは他の作品でも出てきます。

恩田さんはそういうのが好きなんでしょうね)

家族構成は多忙な高級官僚で留守がちだった父親を除いて、

祖母、母、三人の姉、双子の妹に当たる和見。

これだけ女に囲まれて幼少から育ったのならば、そうなるかなと思いますね。

 

物語は北国で、不倫からはじまります

さて、物語は恵弥の妹である和見に会いに来るところから始まります。

舞台は北国のH市。

雪がちらちらと舞う中で、恵弥は妹と再会します。

 

実はこの妹、妻子ある男性と交際中です。

そう。不倫です。

 

何よっっっっっっっ。この女。許さなあああああい。

とヒステリックな声が聞こえてきそうですが、

あくまでもフィクションですから。

 

でも、小説の中の家族たちも大怒りなんです。

 

若槻慧。この相手の男というのが、一回り以上も年上。

妻とは長年別居状態。

優秀な研究者であり、大学の助教授。

交際中の和見とは同棲をはじめるが、それがスキャンダルとなって、

大学を移ることになり札幌へ。

札幌は彼の生まれ故郷であり、幼馴染である妻の実家もある。

彼の妻子は札幌で暮らしているらしく、これを機にまた夫婦としてまた

と期待をしていたのです。

が。なんと。

和見は彼を追って、札幌へ行ってしまうんですね。

 

和見を連れ戻して来んかああああい!!!(神原家一同)

 

そういうわけで、恵弥がH市にやって来たわけです。

 

ところが、

ところがところがところが。

恵弥は目にします。

 

故 若槻慧博士告別式会場

 

妹の不倫相手はすでに死んでいたのです。

 

若槻慧は札幌市の外れに古い一戸建てを借りていました。

その家にはロフトがあり、彼はそこから落ちて死亡らしく

警察は事故と断定。

 

その彼が残した手帳にはこうありました。

 

『六時に東京駅。M。クレオパトラ

 

さあ。『M』とは『クレオパトラ』とは何なのか!?

 

神原恵弥シリーズ 第一作『MAZE』

この「ウイルスハンター」シリーズは『MAZE』を第一作としてはじまります。

二作めが『クレオパトラの夢』で、三作目が『ブラックベルベット』。

そして、四作目が現在連載中なのだそうです。

 

だから、人気シリーズなんですよ。

 

第一作にあたる『MAZE』は、アジアの西の果ての荒野にいつから建っているのかわからない白い建物を調べるために恵弥が訪れます。

 

それは現地の人が“有り得ぬ場所”と呼ぶもの。

 

一度中に入ると、その人は「消える」。

ただし、絶対ではなく、消えずに戻った人もいる。

何か法則があるのか・・・。

 

とてもワクワクする設定であり、とても楽しく読んだのですが、

その謎に恵弥が出した結論は、

物語の結末は、

 

それについては各々の解釈に分かれる作品ではないかと感じました。

 

感想 ネタバレ

『MAZE』と『クレオパトラの夢』なら、後者が好みですね。

『MAZE』は結論が飛び過ぎかなーーー、と思いました。

色んなジャンルを飛び越える恩田さんだからできることかなとも感じました。

こういう物語だろうと決めつけて読んでしまっては楽しめないでしょうね。

 

クレオパトラの夢』の方は、「ウイルス」というものだけでなく、

「不倫」というものが後で効いてくる構成がすばらしかったですね。

コロナ禍ですから、よりウイルスと人類の戦いについても身近に感じることができました。

コロナで大変だけど、だからこそ特別な楽しみ方ができたかなと思います。

 

他にもあるよ。恩田さんのシリーズ

63冊くらいの小説を出している恩田陸さんですが、

その中にはシリーズものが3つあります。

 

一つは今回紹介した「ウイルスハンター神原恵弥シリーズ」。

「理瀬シリーズ」(これが一番冊数が多い)

「常野物語シリーズ」です。

常野物語シリーズはすでに紹介させていただいております。

 

www.toohii-solo.com

 

www.toohii-solo.com

 

理瀬シリーズもいずれやりますね。

 

ホイじゃ、また。

ブラザー・サン シスター・ムーン  あの日3人が見たものの意味

今回紹介しますのは、恩田陸著『ブラザー・サン シスター・ムーン』です。

 

夜のピクニック』から4年

青春小説の新たなスタンダードナンバー誕生

などと書いてあります。

 

こんなことを書かれてあると、この小説が『夜のピクニック』の続編のように

とらえる人もいると思いますが、それは違います。

 

前回紹介した『夜のピクニック』は高校生の話でしたが、

今回は大学生の話です。

 

ぼくとしては、この『ブラザー・サン シスター・ムーン』の方が好みでしたね。

 

帯には、“本と映画と音楽 それさえあれば幸せだった奇蹟のような時間“

と書かれてあります。

ぼくも一応は大学に行きましたので、そのときのことを振り返ってみますと

本と音楽に明け暮れた日々といっていいですね。

(映画はあまり観ない)

 

高校生の頃は受験勉強で忙しく、就職すれば仕事に追われる。

大学というのは、本と映画と音楽 そういうものにどっぷりとつかれる

いい時間だったと思います。

(別にそれが麻雀でもコンパでも山登りでもその人それぞれでいいと思いますよ)

 

この小説は同じ高校に通っていて、

大学も同じところに行くことになった3人の視点から語られます。

この3人同じ高校の同学年なのですが、同じクラスになったことはない。

その高校には変な授業があり、町の中に放り出されて、

取材のようなことをさせられるのだそうです。

そのときは、クラスの垣根はとっぱらい3人一組のチームに編成される。

そこでチームになった3人なのです。

それをきっかけに遊びにも行くようになるのですが、

クラスは違うのでずっといっしょというわけじゃあない。

そのあたりの3人の距離感みたいなことが、すごくいい小説でした。

 

 

第一部 あいつと私

f:id:toohii:20210530161148j:plain

楡崎彩音という女性の視点から語られます。

文学部ですので、彼女は「本」について語ります。

 

そして、おそらくですがモデルは恩田陸さんご自身。

だからこんな学生生活をしていたのかなととても興味深く読めますね。

 

彼女はアルバイト先の飲み屋でお客さんからある質問をされます。

そのことがとてもひっかかる。

それへの答えを出すのに4年間を使ったといってもいいでしょう。

その答えとは。

 

読み進めるうちに彼女は現在は小説家となっていることがわかります。

(この人物は恩田さんが書く短編小説にも登場します。恩田さんの分身のような役割でしょうか。

それとも荒木飛呂彦さんが描く岸辺露伴のように同じ漫画家ではあるが、まったく性格は違う人物なのでしょうか)

 

学生時代の友人(揃って男性)に合うとこう言われることがあるといいます。

「俺も書くはずだった」

「進路で、文筆業と迷ったけど、婚約者がいたから、生活を選んだ」

「俺がやるはずだったことを、なぜおまえごときがやっているのか」

こんなひどいことを恩田さんも言われたのでしょうか。

(でなきゃこんなこと、ここで書かないですよね)

 

そして、そんな彼らにこう言い放つのです。

書く人は放おっておいても書く。働いていようが、結婚していようが、

シングルマザーだろうが。

彼らは書いていない。だから、そもそも書かない人だったのである。

 

ビジネス書を読んだり、成功した人の話を読んだりするとよく出てくることですよ。

〇〇だからできない。

〇〇ならばはじめるのに。

そう言って多くの人は、行動に出ようとしない。

 

やりたいのであれば、やればいいのにってことですよね。

 

ただし、恩田さんにも

「書くぞ」という並々ならぬ強い意志があるわけではないこともわかります。

そうではなく、

楡崎を通して、書くのは「癖」みたいなもの、といっています。

やめようにもやめられない、あんまり誉められたものではない、

注意されるといっときは直るが、しばらくするとやっぱり出てきてしまう

悪癖みたいなものだそうですよ。

 

 

第二部 青い花 

f:id:toohii:20210530161135j:plain


戸崎衛という男性の視点から書かれます。

彼は音楽サークルに入って、バンドを組み、ベースを担当します。 

「音楽」について語られるわけです。

 

レギュラーバンドというそのサークルで一番うまいバンドになるために

メンバーたちと努力します。

 

この戸崎。楡崎とつきあっています。

高校2年の夏から。

でも、煮え切らない関係なのです。

週に一回か、10日にいっぺんくらいアパートに通っているにも関わらず、「清い」関係。

 

その微妙な関係がなんかいいんですよね。

 

戸崎は楡崎が忘れていった本の中に、

自分たちのことを示したような言葉を発見するのです。

 

第三部 日の当たる場所

f:id:toohii:20210530161837j:plain


最後は、箱崎一です。

「映画」について語られます。

しかも、彼は映画監督になり、

他の名だたる大家の作品を押しのけて、コンペティション部門に招待されたことが

決まっています。

その彼にライターがインタビューする形式で話が進行します。

 

やがて箱崎彩音のことを思い出します。

彼女はナタリー・ウッドみたいだと。

彼女とは蛇の話をした。

この話が重要なのです。

 

“ねえ、覚えてる?

空から蛇が落ちてきたあの夏の日のことを・・・。“

 

ある初夏の午後、楡崎・戸崎・箱崎の3人は水路の脇を歩いていた。

突然空から蛇が降ってきたのだという。

それは水路の中に落ちた。

驚いて3人が覗き込むと

それは数匹が絡まり合うようにしてしばらくそのまま泳いでいた。

やがてはバラバラになってそれぞれの方向へと泳いでいったのだが・・・。

 

それを解釈する言葉を箱崎は映画の台詞から引用します。

 

これこそが、この小説。

『ブラザー・サン シスター・ムーン』の核です。

 

わかるわその感じーーーーー。

深くしみじみと行き渡るすばらしい一行なのです。

 

ぜひぜひぜひ。読んでほしいです。

夜のピクニック』の方が評価高いけど、

こっちの方がぼく好みです。

 

ホイじゃ、また。

 

 

ちなみに、ぼくは蛇は苦手です。

 

 

 

 

 

夜のピクニック なんて“さはやか“な高校生活でございましょう

小説のご紹介をします。

恩田陸さんの『夜のピクニック』です。

この小説は第二回(2005年)の本屋大賞受賞作品です。

 

 

本屋大賞というのは、「新刊を扱う書店(オンライン書店を含む)の書店員」の

投票によってノミネート作品及び受賞作品が決定される文学賞です。

 

文学賞といえば、芥川賞直木賞が有名ですが、

作家さんの中にはその二つよりも、本屋大賞を受賞したいと思っている方が

多くいらっしゃると聞いたことがあります。

 

自分のお店の店にぜひ置きたい。

ぜひ売りたい。

そう思ってもらっているといっていい賞ですから、その気持ちわかりますよね。

 

『蜂蜜と遠雷』を読んで感激して以来、恩田作品ばかり読むようになりましたが、

実はその作品でも本屋大賞を受賞しています。

まさかの二回目の受賞なのです。

だから恩田さんも、同じ賞が取れるはずがないと思っていたそうですよ。

 

では、『夜のピクニック』の内容を見ていきましょう。

 

鬼の行事だよ。歩行祭

f:id:toohii:20210529164853j:plain

主人公たちが通う男女共学の進学校北高。

そこには他の高校には見られない伝統行事があります。

それは「歩行祭」。

 

朝の八時から翌朝の八時まで歩くという、教育の一環として行われるには

ひどすぎる、耳を疑ってしまうような行事です。

 

《学校側の意見)いやーーー。でもね、夜中には数時間の仮眠を挟みますから、

ひどいとはいえませんよ。

80キロですけど。

 

80キロ!!!

 

一日一万歩以上歩きましょう。それが現代人の目標です。

一万歩というのは、だいたい7キロなのだそうです。

 

一日の目標の10倍超えとるやないか。

何でそんなものが伝統行事として定着してるんだよっっっ。

歩行祭」っっって、祭じゃないわい。

苦行だわ。悪いことした人の罰だわ。

 

とぼくは思ってしまうのですが、登場人物たちは違うんですよ。

さすがは、進学校に通う優秀なお坊ちゃま、お嬢様です。

大部分の生徒が歩き通すことを最大の目標とするんです。

しかも、運動部となると全校生徒の中で何番目にゴールをしたのかという

順位にまでこだわるのです。

 

みんな、この「鬼の行事」に真剣に取り組むのです。

それは冒頭のシーンですぐにわかります。

バス、という言葉が不吉な言葉とされているのです。

というのも体の不調で歩くのが困難だとされると

救護バスというものに乗せられてしまうからです。

 

このバスにみんな乗りたくないのです。

 

楽でいいじゃん。

仮病使ってバスに乗ろう。

 

そうは考えないんですね。

 

ぼくが通った高校なら脱落者続出ですよ。救護バスぎゅうぎゅう詰め。

そもそも当日来ない。

 

進学校だからこそ、こんな行事成立するのかなと思ってしまいます。

 

(恩田さんの母校には「歩く会」という70キロ歩く名物行事があり、それをモデルとしているそうです。恩田さんは早稲田大学に行っていますから、この学校は進学校でしょうね)

 

(元外務省職員の佐藤優さんが通われた高校にも50キロを歩く行事があるそうです。

佐藤さんは勉強ができるでしょうから、やはり進学校でしょう)

 

 学校や教師が提供するものをしっかりと受け取り、自らの学びとろうとする姿勢のある子たちだからこその行事でしょうね。

 

主役の二人はなんと・・・。

f:id:toohii:20210529165111j:plain

この物語の主役は二人います。

西脇融(にしわきとおる・男)。高校三年生。

甲田貴子(こうだたかこ・女)。高校三年生。

この二人。実は異母兄弟なんです。

そして、この事実は生徒も先生も知らないことです。

 

何故か。

どうして伏せられたままなのか・・・。

 

それはね。

 

西脇融の父親が、甲田貴子の母親と不倫して、

そのときにできたのが、甲田貴子なんです。

 

どちらもが、親の恥を抱えて生きていかなければならない運命です。

 

でも、そんな不都合な事実も離れて暮らしていれば誰にも知られることはないでしょう。

 

ところが。

ところがですよ。

 

二人は同じ高校に進学してしまうのです。

 

しかも。

しかもですよ・・・。

 

1,2年はよかったのですが、3年で同じクラスになってしまうのです。

先生も知らない事実なので、こういうことが起きてしまったのです。

 

気まずい・・・・・。

気まずい・・・・・ですよねえええ。

 

親がした恥で、二人はそれがバレないように注意をして

毎日ヒヤヒヤしながら過ごさなければならないのです。

 

当然。お互い意識します。

その不自然な様子に対してクラスメートたちは誤解をしてしまうのです。

 

本当は“好き同士じゃないの”・・・。と。

 

鬱陶しいですよねえええ。

 

特に西脇融が頭にきているのです。

そりゃそうですよ。

親の不倫の証が毎日教室にいるんですよ。

同じ学校に進学するからこういうことになるんだ。

別の学校へ行けばよかったじゃないか、と怒っているわけです。

そうすれば、こんな窮屈な毎日を過ごすこともない。

 

でも甲田貴子の立場からすれば、そんなことは知ったことではありません。

彼女に落ち度はないわけです。

どうして自分が遠慮しなければいけないのか。

どうして自分が西脇の怒りの対象になっているのか。

貴子の言い分もものすごくわかります。

 

さあ、この二人の関係はどうなるのでしょうか。

これが大きなテーマですね。

 

杏奈からの手紙

f:id:toohii:20210529165506j:plain

貴子のもとへは10日ほど前に杏奈から葉書が来ていました。

杏奈は2年のときに同じクラスで仲良くしていた女の子です。

帰国子女の彼女は中3から高2までを日本で過ごしたのですが、

この春にまたアメリカに戻ってしまったのです。

 

彼女は、伝統行事である「歩行祭」をとても楽しんだ。

海外で暮らした経験が長いからこそ、日本的なシステムの理不尽にすら思える因習めいた伝統に、憧れを持ったのだろうと貴子は思っています。

 

葉書の内容も、「歩行祭」だけはもう一回参加したかったというもので、

だからこそその10日ほど前につくように投函したのでしょう。

 

でも葉書の最後の言葉の意味がわからない。

“たぶん、あたしも一緒に歩いてるよ。去年、おなじないを掛けといた。貴子たちの悩みが解決して、無事ゴールできるようにNYから祈ってます”

貴子はこの意味がわからないのです。

 

この意味がわかってくるところが、とてもおもしろいところですね。

 

この物語を自分の過去と照らし合わせることができる人は幸せでしょう。

そうでなくても、

こんな高校生活をしたかったと想いを馳せることができる人も幸せでしょう。

 

ぼくはそういう読み方はできませんでした。

斜めから冷めた気持ちで読んでしまった。

そういう読み方しかできない人もいるでしょう。

でも、大丈夫。

杏奈からの葉書の最後の言葉の意味が何なのか。

その真相。

これだけで読むに足る、おもしろさでした。

 

 佐藤優さんは絶賛している

gendai.ismedia.jp

 うるさがただと思われる(ぼくがそう思っているだけかもしれないが)

この方がこうやって記事にしています。

本当はこういう読み方ができるといいのでしょうね。

 

ホイじゃ、また。

 

 

 

禁じられた楽園 恩田陸さん  ホラーというものについて感じたこと

f:id:toohii:20210414201711j:plain


 

今回は恩田陸さんのホラー小説について書きます。

 

 

 

巨大な野外美術館に招待される 

烏山響一。世界的美術家とされる青年。

そんな男が自分と同じ大学の同級生だったら、みなさんはどう感じるでしょうか。

嬉しいとかどうこう言う前に、気になって気になってしょうがないと思うんですよね。

 

随分と前の話ですが、ある有名大学に、これまたかなりの有名な女優さんが入学したのはいいが、「ひと目見たい」という学生たちが押し寄せてとてもじゃないけど授業できる状況ではなくなってしまったということがありました。

では大騒ぎしてしまった学生を責めることができるのかといえば、その場にいたならば、そう思うわな~。同じように舞い上がって常識はずれの行動をしてしまうかもしれませんね。

 

烏山響一も、上記ほどの舞い上がった状況ではないにしろ、いつも多くの取り巻きたちに囲まれている状況です。みんなの憧れ、烏山くんです。

 

そんな彼に話しかけられたら。

まるで王子さまに声をかけられた庶民です。光栄で光栄で。

 

それだけでもうれしいというのに、彼に招待されたら。

それはもううううう、優越感に浸ってしまいますよ!!!

 

烏山響一のふるさとは熊野。あの熊野古道で有名な地です。

烏山家はそこの名士なんです。山も所有してまして。

そこに“野外美術館”を作り上げるのです。

烏山響一の伯父さんである烏山彩城も実は有名な美術家です。

彼の巨大なインスタレーションをいくつもそこの作り上げたのです。

山一つを使った「体験型美術館」。

なんか楽しそう!!!行ってみたい!!!

そんな気になりますよね。

 

そこに「招待される」物語です。

 

 ところで、インスタレーションとは

インスタレーション (英語Installation art) とは、1970年代以降一般化した、絵画彫刻映像写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。

空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。鑑賞者がその空間を体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどのように変化させるかを要点とする芸術手法である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

インスタレーションといってもそれは 

この小説はホラーです。

ですから招待されたことによろこんでばかりはいられません。

うらやましがってばかりもいられません。

そのインスタレーションの内容というのが・・・。

 

前振りとして、烏山響一は広告代理店と組んでDVD作品を発表し大ヒットになります。

2004年の作品ですからそうなのでしょうが、今ならyoutubeの再生回数************回という話でしょうね。

そこにある噂がたちます。それは、

“映像の中に死者が見える“

というもの。“見た“という人がたくさん現れます。

 

恐ろしい噂のある映像に翻弄されるという点では『リング』を連想させますね。

 

その真相はいかなるものなのでしょうか・・・。

 

 

ストーリーの内容とはあまり関係がないけど、気になった文章

 今のマスコミや一般大衆はいつも腹を空かしている池の鯉みたいなものだ。鯉は何でも食べる。雑食であり、しかも悪食なのだ。どんよりした池の中で重なり合うようにのろのろ泳いでいるが、一度餌が投げ込まれると、獰猛に食らいつき、骨まで噛み砕く。ほとんど反射のみなのである。投げこまれたものが何なのか確かめることすらせずに、争って食い尽くしてから、はて、今自分が食べたのもは何だったのか考える、考えるのならばまだいいが、食欲を満たしたことのみに満足して、食べたものが何だったのか知ろうともしない。

 

 ちっぽけな存在の人間にとって、この世で一番怖いのは狂気よりも正気だ。狂気はある意味で安らぎであり、防御でもある。それに比べて、正気で現実に向き合うことはどれほど人間にとってつらいことだろう。この男が怖いのは、この男が常に誰よりも正気だからなのだ。酒を飲んで酔っ払っている時に、素面でじっと観察されていることくらい決まりの悪いものはない。彼の視線にはそれに近いものを感じる。

  

芸術を商売にしていれば、日々切磋琢磨し情報も多く得られるからそれなりにとんがるのは必然であり当然だが、その必然がないのにそれがホンモノであるか最先端であるかを感じられる人というのは、本当に本能的にとんがってるんだろうね。というか、時々芸術というのは芸術家が造るのではなくて、大衆の無意識の部分に沈んでいるんじゃないかと思う時があるね。大衆の無意識が、ある日一人のアーティストの中にそれを発見するんだね。そういう意味では、我々たただの筆みたいなもので、大衆の無意識から浮かんできたものに描かされているだけなんじゃないかと思うね。最終的に、アートするのはやはり大衆の方で、俺達じゃない。我々はたまたま発見されるだけで、どんな異端もしょせんは大衆の一部をカリカチュアライズしてるだけだ。

 

ホラーの難しさ

物語をはじめたら、終わらせなければいけません。

どうしてそうなのか?という疑問に対する答えを用意しないといけません。

 

最後に真相がわかり、それは納得のいくものでした。

 

ミステリならば、それで良かったのだと思います。

しっかりとした説明がなされたものでした。

ですが、今回はホラー。

 

真相がわかってしまったつまらなさを感じてしまいました。

 

何かいる 何かいる 何何何・・・・????

と怯えてた状態を楽しんでいたのが、醒めちゃった。

 

ホラーというものの難しさを今回は感じてしまいました。

 

 

ホイじゃ、また。