「飛び越える」がテーマでは?と思った。はてなインターネット文学賞
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
あなたにとっての「インターネット文学」は?ときかれても、
ぼくには「これだ!」と答えるものがない。
インターネットの小説投稿サイトから人気が出て、出版したらまた人気、ついに映画化、アニメ化なんて話もたくさんある。それらこそが、インターネットから飛び出した「インターネット文学」だ、といえばそうだろうなと思う。
でも、ぼくには「これだ!」というものは浮かばない。
ここではぼくにとっての「インターネット」とはという話になる。
インターネットとはもう随分と慣れ親しんできた。
便利なものだ。
でも、ここ最近の付き合い方は以前よりも有意義だ。
ブログをはじめたからだ。インターネットとの付き合いがより積極的になった。
ブログは続けていくうちに、もっとこうしたいということが浮かぶ。
そこでインターネットの世界で検索していくと、だいたいのことは誰かが文章にしてくれている。
こんなことはインターネットがなければありえない。
何か質問があって誰かに聞いたら、それが何であるかを説明しなければいけなかったり、そもそもどうしてそんなことを調べているのかも説明しなければいけなかったりと、やたらと手間が多い。
だいたい何かを教えてもらおうと思ったら、お金を払ったり、その人に気に入ってもらえるように媚びを売ったりと、その前にやらなければならないことが多すぎた。
インターネットの世界ならば、そんなことは「飛び越える」。すぐに知りたいことを知ることができる。
また、人とのコミュニケーションにおいての壁も「飛び越える」。
壁とは「ことば」以外の「言い方」とか「表情」「仕草」のことだ。人はそれらを敏感に察知してしまう。何気ない言い方が気に入らなく聞こえてしまったり、ちょっとした表情から「迷惑だったかな」と勘ぐってしまったり。
ぼくなどもまったく疲れていないというのに、「疲れているのか」「気分が悪いのか」などといわれてしまうことがある。そんな顔をしているのだろうか。
文章なら、そういうことはない。書いてあることを素直に受け取るだけだ。
年齢の差も「飛び越える」。どれだけ相手が年が下でも、素直に教えを乞うことができている。面と向かってならこうはいかないだろうと思う。
国境も「飛び越える」。おもしろく読んでいたブログを書いた人が、実はインドネシア在中だったことを知って驚いたことがある。外国で働いている日本人が書いているのだ。そうやって外国から書いている人も多くいる。もはやそんなことはできて当たり前となっているのだ。「時差は・・・」とか「国際電話は金がかかる」なんていうことは気にしなくてもいい時代だ。
出版社も「飛び越える」。一昔前ならば、文章を書いて広く一般に広げたいならば、出版社に気に入ってもらえなければならなかった。出版社に金になると思ってもらえなければならなかった。その出版社の記者になるか。新聞記事になるか。
あとは同人誌をつくるか、自費出版。それくらいだったと思う。
それが今では、インターネットをつかって誰でもすぐにはじめることができる。
こんなことはなかったことだ。
以上「飛び越える」ということをテーマにいろいろと書いた。ぼくの思いついたこんなところだ。
ここに来てふと思い出した。ぼくが「ブログ」をはじめたきっかけだ。
そもそもぼくがブログをはじめたきっかけは、「とある方」のブログを読んだからだ。その方のブログを読んで「ブログとはそういうものだったかの」と気づかされたのだ。もう、どこの誰だかわからなくなってしまったが。
だから、ぼくにとっての「インターネット文学」とは、「どこの誰だかが書いたかも忘れてしまったブログ記事」ということになる。
ぼくもそんな記事を書いてみたいと思うし、
これを今読んでいるあなたの記事が、誰かのきっかけになるかもしれない。