ブログはオワコンか?説について。
ブログはオワコンなのか?
ぼくは2020年の3月にブログをはじめました。
基本一人が好きなので、
一人でできる何かいいものないかなと探していてブログにいきついたのです。
ブログに可能性を感じたわけですね。
だからこそ、
ネットでたまに目にする「ブログはオワコン」という記事には違和感があります。
何故ならぼくと同じような時期にブログをはじめた人がいっぱいいるからです。
その中には学生さんや、定年を迎えた年齢の方もいる。
まだまだやりたいと思う人がいて、その年代がバラバラ。
この状況。終わってますか?
そして、その中にはあっという間に1000人を超える読者を獲得した人がいる。
1000人ですよ。1000人が読みたいと集まるものって終わってますか?
「ブログはオワコン」理論の中には、その理由に「note」の存在を上げている人もいますね。
でもそれっておかしな理屈です。何故なら「note」でブログのようなものをはじめることもできるからです。
さらにいうならば、「note」から自分のブログへと呼び込むこともできるからです。
記事を発表する場所が増えたに過ぎません。
「note」の存在を「ブログはオワコン」という理由にする理屈は、
テレビ局のチャンネルが1本とか2本しかない時代に、3本めのチャンネルが誕生した時「テレビの時代はもう終わりだあああ」と嘆き悲しむ状況のように思えます。
繰り返されるオワコン説
「オワコン」って言いたがる人いるんですよねー。
ラジオが出てきたときは、「これで新聞の時代は終わりだーーー」
終わってないですよね。今ありますよね。
今後新聞紙はなるかもしれないし、新聞を配達するというやり方はなくなるかもしれませんが、新聞そのものがなくなることの方があり得ないでしょう。
テレビが出たときは、「これでラジオの時代は終わりだーーー」
終わってないですよね。今ありますよね。
ぼくは車に乗っているときはラジオをよく聞きます。
仕事場ではずっとラジオを流しているというところもありますよね。
さらに災害時には強い。これもなくなることの方があり得ないでしょう。
ネットの動画サイトの勢いがすごい。「これでテレビは終わりだーーー」
終わってないですよね。今ありますよね。
40歳以上の人しかテレビに出ていないなんてことないですよね。
若い人が次々と登場していますよね。
特にテレビとラジオという放送というものは、
向こうから勝手に来るということに利点があると思います。
何が言いたいかというと、
放送はたまたまつけたらやっていたものを思わず見た聞いた、
それがすごくよかった、ということが起こるということです。
予期していない出会いがあるのです。
新しいものが出て来ると、既存のものが終わるのではありませんね。
浸透したものはむしろ終わりようがない。
終わるのは「やり方」です。今までの「やり方」が通用しなくなるだけです。
それはブログも同じです。かつてのやり方が通用しなくなっているところがある。
(前よりも稼ぎにくくなっている。申請が通りにくくなっているなど。
すでに直面している問題ですね。)
新しい「やり方」を身に着けていく必要があります。
わからないでもない「ブログはオワコン」説と結論
「ブログはオワコン」説が流れる理由に、確かに少し「古い感じがする」というのはあると思います。
かつては「ブログ」しかなかったんです。「ブログ」の一人占めでした。
そこに「instagram」や「 youtube」が出て来て新たなスターも誕生した。
それと比べると「ブログが大流行り」という感じではありませんね。
ですがこれは「流行り」というより、
すでに「定着した」ものだととらえています。
それに別物ですよ。
写真が好きな人は「instagram」。動画が好きな人は「 youtube」。
文章が好きな人は「ブログ」です。役割分担の違いでしかありません。
「ブログはオワコン」説は見当違いだなーと思います。