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蒲公英 読めますか? 常野物語

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今回は小説のご紹介です。

恩田陸さんの「常野物語シリーズ」の第2弾です。

 

『蒲公英草紙』

 

んんん???何そうし?

うらこうえいそうし????

 

ぼくは漢字検定2級に合格しておりますが、読めませんでした。

漢字検定2級なんてその程度です。

 

「たんぽぽ」と読むそうです。

黄色い花をつけ、綿毛をつけるあのたんぽぽです。

どこがどう「たん」で、どこがどう「ぽぽ」なんでしょうか。

難しすぎるやろ。

 

たんぽぽといえば、幼い頃に摘んで遊びました。

そのイメージです。

「蒲公英」じゃ、そのイメージぶち壊しやろ。

 

 

 

 

前置きはこれくらいにしまして・・・。

 

 

居心地のいい物語

『蒲公英草紙』は峰子という女の子の視点から語られます。

常野物語シリーズですから、不思議な力をもった人々が登場してくるのですが、

それをそんな力は持っていない女の子が外側から見て語るわけです。

 

第1弾『光の帝国』のあとがきにあった、

「子供の頃に読んだお気に入りのSFに、ゼナ・ヘンダースンの「ピープル」シリーズというのがあった。宇宙旅行中に地球に漂着し、高度な知性と能力を隠してひっそりと田舎に暮らす人々を、そこに赴任してきた女性教師の目から描くという短編連作で、穏やかな品のいいタッチが印象に残っていた。

 ああいう話を書こう・・・。」

これを、改めてやってみようということでしょうか。

 

今回は連作短編ではなく、長編です。

 

峰子は小学校に上がる春に親から帳面をもらい、日記をつけまじめます。

それに「たんぽぽそうし」と名前をつけます。

御伽草子』や『枕草子』のことを漏れ聞いていて、

背伸びをしてつけたのかもしれないと語られます。

 

時代は明治の後半。20世紀がはじまった頃です。

このことを、にゅう・せんちゅりぃと表現しています。

英語がまだ珍しい時代ですよね。

 

峰子の近所には、旧家植村家という大きなお屋敷があり、

峰子はそこに通うことになります。

それはその家の末娘である聡子様の話相手になるため。

聡子様は体が弱く、学校へ行ったり遠出をしたりすることができないからです。

 

峰子が聡子と出会うことから物語がはじまります。

これは聡子と過ごした日々の話です。

「たんぽぽ」とあるように、たんぽぽを摘んで遊んだ頃。

“娘”になる前の“子供”の視点で、やさしく品よく語られます。

 

その心地よい空間をぜひ堪能してほしいですね。

 

春田一家登場

 この物語には「常野物語」の先陣を切ったあの春田一家が登場します。

第1弾の『光の帝国』を読んだ方ならば、「しまう」でおなじみの一家です。

時代は明治、20世紀がはじまったころですから、春田一家のご先祖様にあたる人ではないかと思います。

かつて植村家は常野の一族に助けられた恩があり、もしも常野の人が村にやって来るようなことがあれば丁重に扱うようにといわれています。

そこでお屋敷の外れにある洋館、その名も天聴館の2階に春田一家が住むことになるわけです。

春田一家は今回も「しまい」ますし「ひびき」ます。

もちろん「虫干し」も。

彼らのおかしな行動から、「露西亜の間諜」ではないかと疑われたりもします。

敵のスパイということです。

敵どころか、犯罪者を見抜いたり、困りごとを解決したりと、みんなを助けるのですが。

 

この物語は常野シリーズの第2弾ですが、独立した作品としても十分楽しめます。

でも、このあたりの部分は第1弾を読んでいたほうがより楽しめるでしょうね。

 

「蒲公英」の理由を考える

ところで、どうして「たんぽぽ」でなく「蒲公英」なのか考えます。

 

大人になった今から思いますに、

あの頃こそもっとも自然と戯れた頃だったのではないかと。

 

そんなすでに大人になり、

あの頃を懐かしむ視点というものを「蒲公英」にこめたのではないかと。

 

もう一つ考えるのは「聡子」の聡明さです。

植村家には様々な人々が出入りしているのですが、その中に仏様を彫る仏師の青年と海外で洋画を学んできた青年がいます。

二人がそれぞれの技法で聡子を描いたときに、それぞれを見て聡子が感想をいいます。

 

「西洋の絵は、今このときの聡子を描いておられます」

「日本の方法で描かれた絵は、もっと長い時間を描いておられるような気がします」

 

続いて音楽についても語ります。

「西洋の音楽は、目標に向かってずんずんと前に進んでいく」

「日本の音楽は、順序よく前に進んでいくというのではなくて、

昔に戻ったり、遠い未来に思いをはせたり、行ったり来たりしているような気がする」

 

それが正しいとか間違っているとか・良い悪いの話ではなく、

ひとつのものを見聞きして、そう感じ取ることができる聡子の達観した様子を「蒲公英」に込めたように思いました。

 

 

ぜひ、読んでみてください。

 

ホイじゃ、また。